1995-02-21 第132回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第2号
ある友人が、これはドイツであったわけでありますけれども、ヨーロッパ留学から帰ってきて、ふるさとに帰る車中で涙が出てきたと言うのです。何で久しぶりにふるさとに帰れるのに涙が出てくるんだというふうに彼に聞いたらば、彼いわく、彼の表現ですけれども、農村の風景が汚いという表現をしました。乱れているということだと思うのですけれども、汚くて、寂しくて、涙が出てきたという表現をしたことがあります。
ある友人が、これはドイツであったわけでありますけれども、ヨーロッパ留学から帰ってきて、ふるさとに帰る車中で涙が出てきたと言うのです。何で久しぶりにふるさとに帰れるのに涙が出てくるんだというふうに彼に聞いたらば、彼いわく、彼の表現ですけれども、農村の風景が汚いという表現をしました。乱れているということだと思うのですけれども、汚くて、寂しくて、涙が出てきたという表現をしたことがあります。
やがて大阪市において弁護士の業務に従われましたが、大正二年にヨーロッパ留学への旅に立ち、大正四年まで、英、独、仏の諸国において学ばれたのであります。 ときあたかも、英国においては、新しい議会法のもとで下院の優位が確立されたころであり、国際的には、第一次世界大戦の勃発前後の歴史的な時期でありました。先生にとっては、実地について学ぶまたとない機会であり、精力を傾けて研究に没頭されました。
たまたまヨーロッパ留学から帰りまして、農場を持つて栽培を始めた。そのときの気持は、試験研究を主体に、いろいろ学問上の研究をしようという気持でありました。同時に私どもは富の背景を持つておりませんから、私どもの農場が赤字を出したのではやりきれぬ。何とか農場から少くとも自給自足的の生産を上げなければならぬという立場におりました。